ブランディング度外視の事業転換で見える企業のあり方
従来の企業の在り方として、自社が掲げて作り上げてきたブランディングというものは非常に大切であり、そのブランディングに沿って事業を推進していくことが当たり前でした。
しかし変化の激しい現代社会においては、従来のようにブランディングに固執して思い切った事業転換ができない企業は淘汰されつつあり、ブランディングを度外視して事業転換していった企業が栄えていっています。
そこで今回は、ブランディングに固執せず得意分野を活かして、事業転換に成功した企業の事例をご紹介します。
事業転換に成功した企業事例10選
ブランディングに固執せず、自社の得意分野や強みを活かし事業転換に成功した、以下の10企業の事例をご紹介します。
・富士フィルム
・日立造船
・凸版印刷
・任天堂
・ソフトバンク
・ヤマハ
・ミクシィ
・DHC
・トヨタ
・ニッスイ
富士フィルム
富士フィルムは元々、社名の通りフィルムカメラを主力事業として誕生した会社であり、カメラとフィルムが事業の柱でした。
しかし、フィルムカメラにとって代わる形でデジタルカメラが登場したことによって、フィルムが不必要になってしまうことになり、主力事業を他の業態へ転換せざるを得なくなったのです。
カメラ事業で培った画像解析技術などを活かして、今では医療や化粧品などの事業を展開し、それらが主力の事業へとなっています。
自社の元々持っていた技術を新たな分野へ活かし他ことで、事業転換に成功した事例です。
日立造船
日立造船は読んで字のごとく、船を製造する会社であり1881年の設立以来140年以上の歴史を誇る会社です。
一時は日本国内だけでなく、世界の中でも造船市場の世界トップを取るまでに上り詰めた日立造船ですが、韓国や中国の造船会社が台頭するようになりシェア率を低下したことで、主力事業の見直しを迫られました。
今ではゴミ焼却プラントの製造やプレス機器や加工機器などの製造に注力しており、それらの事業だけで売り上げ比率の70%弱を占めるまでになっています。
凸版印刷
大日本印刷を抑え、国内の印刷業界の中でトップシェアを誇っていた凸版印刷は、1900年の創業以来100年以上日本の印刷業界を牽引してきました。
しかし、昨今のペーパーレス化や出版不足の影響を受け、印刷業界全体の市場が縮小していっている中で、事業の転換を図っていきました。
2010年代から自社の培った印刷技術を活用して、フォトマスクの開発をアメリカの会社と共同で進めていき、酸素ガスのバリア率が世界最高レベルの次世代フィルムの開発に成功しました。
凸版印刷の中で印刷事業はまだ主力事業ですが、エレクトロニクス事業の割合が伸びており、今後はそちらの事業に注力していくようです。
参考:沿革|凸版印刷
任天堂
任天堂は、今や日本では子供から大人まで知らない人はいないほど有名なゲーム会社ですが、元々は花札を製造している会社でした。
1889年に花札製造の事業を開始して以来、主力事業として花札を製造し続けていたのですが、1960年代頃を境にカードゲーム産業が衰退し始め事業転換を余儀なくされました。
今までアナログで開発していたゲームを電動式玩具に切り替え、当時では他社が進出していなかったエレクトロニクス玩具業界に積極的に進出し、ゲーム会社として世界でも有数の会社へと成長を遂げました。
参考:会社情報:会社の沿革
ソフトバンク
ソフトバンクは1981年の創業当初、パソコン用のパッケージソフトの流通事業をメインの事業として行っていました。
時代の変遷とともにインターネットが普及したことにより、パッケージソフトの需要が低下していきブロードバンド事業へと転換を図りました。
当時アメリカで誕生した「ADSL」の技術を取り入れ、日本で初めてインターネットプロバイダーサービスを開始しました。
今では国内トップ企業の1つにも上り詰めており、スマートフォン事業に注力しています。
その時代の最先端の技術を取り入れ、事業を転換させつつ進化を遂げ続けていった企業の事例です。
ヤマハ
ヤマハは元々、オルガンの修理を主力事業として行っていた会社でした。
その後はオルガンの修理とともに、ギターやドラムなどの生産も開始し、総合楽器メーカーとして成長を遂げていきました。
電子楽器が誕生したことにより、電子楽器の音質向上を図るために自社で電子部品を開発する必要があると判断し、半導体製造事業へと踏み切っていったのです。
今でもヤマハの主力事業は楽器・音楽関係の事業ですが、半導体製造の分野が非常に伸びており、これからは電子部品の製造へさらに注力していくようです。
ミクシィ
今では子供を中心に大人気の、「モンスターストライク」をはじめとしたアプリ事業で有名なミクシィですが、1997年の設立当初は「Find Job!」という求人情報サイトの運営が主力事業でした。
当時は求人情報サイトは珍しかったのですが、大手会社が参入してくるにつれシェア率を落としていき、事業を転換せざるを得なくなったのです。
今までのtoBメインの事業モデルから、toCをメインとしたアプリ事業に切り替えたことで、今では大人気のアプリを生み出す会社へと変化を遂げました。
DHC
化粧品会社として有名なDHCですが、その会社名の略称は「Daigaku Honyaku Center(大学翻訳センター)」であり、委託翻訳事業がメインの事業だったのです。
翻訳技術が発達していく中で事業が縮小していき、今までの翻訳事業から1980年代に化粧品事業へと転換を図りました。
また、化粧品だけではなく出版事業や教育事業も行っていたことはあまり知られていません。
結果として、国内を代表する化粧品メーカーとなったDHC。ブランディングに固執せずに大きな事業転換に成功した企業の事例です。
トヨタ
トヨタは現在、世界でも有数の自動車メーカーですが、その成り立ちは機織り機や蒸気機関のモーターを製造していた会社だったのです。
当時は蒸気機関が動力のメインでしたが、時代とともに自動車が普及していくことで蒸気機関関連事業を撤退し、自動車部門を新たに立ち上げました。
そこからは時代の流れに沿って自動車部門を拡大し続け、今では電気自動車部門としても有名になる程自動車の会社として変化を遂げています。
自社が元々持っていたモーターや動力の生産技術を活かして事業転換に成功した事例と言えるでしょう。
参考:歴史 | トヨタの歩み | 企業情報 | トヨタ自動車株式会社 公式企業サイト
ニッスイ(日本水産)
ニッスイは元々、日本海洋漁業統制株式会社という名前で下関で漁業を行なっていた会社でした。
創業当時は水産事業を主力事業として行なっていましたが、競合会社の進出などによりシェアが低下していき新たな事業の創出が求められました。
そこで事業の範囲を食品加工業に拡大し、フィッシュソーセージの生産を開始したのです。
そこから食品加工業が自社の主力事業となっていき、今では製薬も手がけるまでに事業の拡大に成功しました。
企業のブランドよりも消費者のニーズが大切
今回ご紹介した企業はいずれも、データ根拠のある競合調査やニーズ調査を行う事によって、ブランドに固執せず「得意な箇所を伸ばす」という点が成功のきっかけとなっています。
自社の思い描くブランドは大切であり、守るべきものですが時代の変化に伴う消費者のニーズの変化に比べれば二の次でしょう。
もちろん、上記の例ではデータ解析というもの自体が少なく、データ根拠ではなく感覚的・ノウハウ的な、今では頼りにしづらく綱渡りをしていた事も想像できます。
その陰では多くの企業が事業転換や事業縮小を余儀なくされて消えていった事でしょう。
しかし、現在ではデータ解析は精度と統計としての量が重要視されデータ解析が正確に行われいれば結果を自社の力で変えていくことできるかもしれません。
まとめ
最後に今回の記事をまとめます。
・時代の変化やテクノロジーの発達などさまざまな要因で消費者のニーズは変わっていく
・消費者のニーズに対応するためには、ブランドに固執せずに得意分野を伸ばし事業転換することが大切
・競合調査やニーズの調査によって事業を転換していく必要がある
本記事では、ブランディングを度外視した企業の事業転換の事例をご紹介しました。
変化の激しい現代だからこそ、柔軟に自社を変化させブランディングに固執することなく事業を転換していくことが、企業が生き残っていくためには必要と言えるでしょう。